2度にわたる攻撃失敗、さらにバルチック艦隊の出撃の報を受けた海軍は、旅順艦隊殲滅を優先するよう動き出す。そのための観測点として前進陣地であり
規模も大きくなく、簡単に落とせそう(と海軍が判断した)な203高地を攻略して欲しいと進言(秋山真之が進言したともいわれるが定かではない)し、
これに当初から要塞西方主攻勢論だった大本営が同調して203高地攻略を支持する。
これに対し大山や児玉、現地軍である第3軍司令官の乃木希典らは
1すでに大孤山からの観測砲撃や黄海海戦で旅順艦隊は壊滅しており、観測点など必要としない。
2艦隊を殲滅しても要塞守備隊は降伏せず、降伏しない限り第3軍は北上することはできない。そのためには、要塞正面への攻撃による消耗戦しかない。
3東北方面にある「望台」の方が、要塞も艦隊も一望でき、重要性が高い。
と判断し、海軍や大本営の203高地攻撃要請を却下し続けた。
結果的に203高地の占領は戦略的にも戦術的にも日本側に寄与しなかった。
本争奪戦は、多くの戦死者を出した。第7師団(旭川)は、15,000人ほどの兵力が5日間で約3,000人にまで減少した。ロシア側の被害も大きく、ありとあら
ゆる予備兵や臨時に海軍から陸軍へ移された水兵までもが、この高地で命を落とした。
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